【 いのちとは 】


                
            



          健康であるとは、どういう状態のことだと思いますか?

          もし、いまなにかの病気にかかってないのなら、それが
          果たして健康なのでしょうか?

          健康観は、人それぞれの社会的属性(会社、学校、地域、
          国、文化)、人的属性(性別、年齢、身体状態)によっ
          て異なり、また変化します。


          WHO憲章では、その前文の中で健康について次のように
          定義しています。

         【 健康とは、病気でないとか、弱っていないということ
           ではなく、肉体的にも精神的にも、そして社会的にも、
           すべてが満たされた状態にあることをいいます。】
                          (日本WHO協会訳)


          = WINGS = では、

          肉体や精神状態、考え方や物の捉え方のバランスがとれ、  
         【 今 】の状況のなかでベストをつくりだせる状態こそ、
         【 健康 】だと捉えています。
                   



                
                  
    
           ゴール…(1) ★ 自分で自分の主治医になる ★

          自らの生命を他に委ねることにより、様々なひずみを生み、
          もともと持っている治癒力が働かなくなります。

          そもそも心身ともに健全で、愛情をもって自分自身と過ご
          しているなら、ひずみは生じません。
   
          本来健康でいることはそう難しいことではないのです。


          ただ 生命にそって、正しく思い、語り、行動 するだけ。
          とてもシンプルです。

   
          もし何かトラブルがおきたとしても、専門家のアドバイス
          や解決法を、一度自分の中に入れ、ニュートラルに判断
          することで、何かに依存せずにベストに近い選択を目指す
          ことができます。

          よく言われている、治癒力を回復させることも高めること
          も不要です。

          もし健康が損なわれているのなら、生命にそぐわない何か
          がなされているだけであって、その何かをやめれば自然と
          治癒力が蘇ってくる。

          無理にりきんで何とかしようとすると、ひずみが生じて、
          またどこかに何かを抱えることになりかねません。


          いまできるだけのことをやりつくしたら、あとの結果は
          おまかせの 【 がんばるけれど がんばらない 】 
          スタンスが、鍵になる。

          自分と向き合うことにより、次第に快方に向かいます。



          以前より状態がラクになってくると【 完全によくなっ
          ていないけど、以前よりはいいからまあこれくらいで…】
          と、妥協案を思い浮かべがちになります。

          しかし、自己治癒力は自らの中に

          = 生命の源の【 原型 】= を携えているため、
          より【 パーフェクト 】へのサインを提示し続ける。


          それはみなさんご存知の次のような方法で …
         【 ねえ、ココ、まだあるよー!忘れてない? 】 

          不和や不具合を高らかに訴えかけ、様々な改善点を伝え
          てきます。

          そのたびごとに、自分への問いかけを通じ、終わりのな
          い浄化というお掃除と環境整備を心がけることが最強の
         【 積極的な予防法 】 なのです。





                  
                  
           ゴール…(2)  ★ 魂とともにいきる ★


              そして、誰にでも平等にやってくる
          【 死 】は = 生命の一部 = でもあります。
          病院のベッドで何本ものチューブにつながれて、身動き
          もとれず人としての尊厳も自由もなく、ただ息をするだ
          けの状態でいても、生きているといえるのでしょうか?


          みなさんそれぞれ考え方に違いはあるでしょう。
          しかしこれからは特に、どれだけ長生きするかよりも

          【 どのように生きるか  】 こそが重要です。
          なぜなら、それは全てに通じるのだから。

          いままでの人生を振り返り、これからの新たなステージ
          に期待と不安をもちながらも、死に移行することを受け
          入れる。
   
          生きているうちに大切な人々にありったけの感謝を伝え、
          再会を約束する。そうした死を迎えることは可能です。
          そのためにできることがある。


          病気なのか事故なのか、それとも死を受け入れて次なる
          ステージに移行していくかのか、死に至るきっかけの違
          いはあれど、いつどうやって亡くなるのか、誰にもわか
          らない。


          いずれどの人にも死はやってくる。


          元気な時に、死を考えてもピンとこないかもしれません。
          体調の悪い時には、恐怖が先にたち、死を思うことを避
          けたくなるでしょう。
   
          それでも問いかけてみませんか?

          死とは何なのか?

          どうすれば自分の中で 死を友として迎え入れる こと
          ができるのか。

          問いかけることによってしか答えを得ることはできない
          のです。

          死を肯定的に捉え、死が日常の風景の一部になった時
          にこそ【 生きる 】ことに焦点があたり、ふだん目に
          していた何気ない風景が色鮮やかに見えてくる。

                   

               いま あなたはどう生きていますか?


          【 いのち 】のパワーの源は【 いま 】にしかない


            この人生でおきる出来事は、すべて魂の成長のため



          私達が意識しないところで行われている魂のセラピーは、
          普段の生活の中でのさまざまな出来事として同毒療法的
          にあらわれます。

          ヒーリングの際もこの自然のセラピーの流れを把握して
          【 魂のサポーター 】の目線を持つことが大切です。


          いつの間にか蓄えられてしまっていた滞りに気づいて、
          生きなおしのチャンスを受け入れ、どう活かすのか。


          あとは自分次第!


          この世でこしらえたものは、この世でしかやりなおしの
          機会がありません。
          制限のあるこの世での真剣勝負だからこそ、本当の力が
          つくのです。


          すごい! 人はなんて強いのでしょう!!!
          あえて困難を 計画のうちに携えて生まれてきます。
          しかも、その計画のことはある時期まで記憶の奥にしま
          われている。


          この世での目標は、
          魂の状態をこの3次元の普段の生活の中で表現すること
          にあります。

          飛行機は空気の抵抗があるからこそ、あれほどの大きな
          鉄の塊が空を飛ぶことができるのだとか。

          やまほどの制限も困難も、更に高く遠く飛躍するために
          あえて存在してくれている。

          うまく活用してしまいましょう。




                  
              変えられないことを受け入れる寛容さ
                変えられることを変える勇気
              そして、そのふたつを見分ける知恵 

 
          これこそが
          まさに困難を乗り越えた末に手にいれられる勲章

          体験をもとに得た生きた知恵を活かし、実際に行動して
          いきましょう!


          生命は まだまだ たくさんのベールに覆われています。
          すべてをあきらかにすることなど
          いつまでたってもできないのかもしれません。



      それでも
      生命に対する 畏敬の念と共に
      静かに耳をすませ

      かすかに聞こえてくる声をひろい
      うっすらとある においを頼りに
      光の導くほうへ 進んでいきたいのです。